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牢屋の窄殉教記念教会 久賀島・五島列島キリシタン物語ツアー:五島列島巡礼(下五島編) その10

投稿日:2017/07/17 更新日:

浜脇教会をあとに、次に向かったのは「牢屋の窄(さこ)殉教記念教会」。
ここはキリシタン弾圧の惨さを伝える重要な史跡なのに世界遺産候補にはなっていません。

牢屋の窄殉教事件(wikipediaより)

明治元年9月29日(1868年11月12日)に久賀島ではキリシタン約200人が松ヶ浦の開(おおびらき)の牢屋に入れられ、石抱や水責めなどの拷問を受けた[16]。キリシタンたちが収監されたのは、わずか6坪ほどの狭い牢で、死亡者42名(うち、出牢後の死亡者は3名)を出した。
窮屈な牢屋の中は、土間のままで厚い板で中央を区切り男牢と女牢とに区分けされた。押し込められた200人は立錐の余地もなく、せり上がって足が床に着かず、身動きできないまま死んでいき、放置された死体は腐乱してウジが湧いた[17][18]。牢に入れて3日後には、牢の中央に1本の丸太を入れて片側の人をできるだけ壁に寄せて立たせ、片方の土間に交代で座らせて少しずつ休ませるようになった。与えられた食べ物は朝夕にサツマイモを一切れずつで、ひもじさに泣き狂う子供に顔をかきむしられて血まみれになった母親もいた[18]。体力の無い老人や子供から死んでいき、最初に死んだのは79歳の助市だった。5歳の政五郎は水を求めて「アップ(水)、アップ」と言いながら渇き死にした[18]
牢屋の窄殉教記念教会にある碑には、
「十三歳のドミニカたせはウジに腹部を食い破られて死亡した」
「十歳のマリアたきは熱病に冒されて髪の毛は落ち、それでも『パライゾ、パライゾ、わたしはパライゾ(天国)に行きます』といって息を引き取った」
「その妹マリアさもは七歳の幼女であったが、『イエズス様の五つのおん傷に祈ります』と言い残して亡くなった」
など、殉教した者たちの様子が書かれている[18][19]。役人は信徒たちに拷問を加えて改宗を迫り、仏僧たちは鈴を鳴らして、経を唱えながら牢の周囲を回った。
ある晩、捕えられなかった信徒2、3人が伝馬船で牢屋に近づき、マリアのメダイを牢屋に投げ込んだ。メダイを受け取ったキリシタンたちは「我等にサンタ・マリアのご加護あり」と歓喜したという[17]
ペトロ中村友吉は、父母とともに牢に入れられ、母はそこで他の信徒たちに踏みつぶされて亡くなった。葬ってよいと許可が出たが、家は荒らされ、鍬も農具も盗まれて掘る道具が無かったため、手で穴を掘って母の亡骸を埋葬した。改葬の時、掘り返してみると、地下70センチの所に2本の骨が残っていたので。それを牢屋の窄へ納めた[20]
プティジャン神父は、この久賀島での弾圧について1868年(明治元年)12月15日付書簡でパリの神学校長ルッセイ神父に報告している[21]

16 『長崎のキリシタン』「入牢と拷問」片岡弥吉 聖母の騎士社(同書160 – 163頁)
17 a b 『西九州 キリシタンの旅』 小崎登明著 聖母の騎士社 《六坪の家牢に百九十人あまりが押し込められた》(同書 95 – 96頁)。
18 a b c d 『長崎のキリシタン』「牢屋の窄」 片岡弥吉 聖母の騎士社(163 – 166頁)。
19 a b c 『西九州 キリシタンの旅』 小崎登明著 聖母の騎士社 《有名、無名、百九十人を刻んだ牢屋の窄の記念碑》(同書 94頁)。
20 『西九州 キリシタンの旅』 小崎登明 聖母の騎士社(同書97頁)。
21 マルナス『日本キリスト教復活史』。

ガイドさんの説明を受け、当時の状況を想像すると、霊感のない私ですら目の前の牢屋跡から信徒たちの叫びや嗚咽が肌で感じ取れてしまう。彼らの苦痛が私の肌を駆け上がる。聖堂もあり墓石もあるのにこの痛さは凄まじい。

これだけの大弾圧がありながら、なぜ隠さねばならない、その理由はなんだろう。
今後もその謎は追い続けてゆきたい。

残念ながらここはほぼ画像を撮影しておらず(ガイドさんの話に聞き入っていたし、体感覚がひどくて撮影しているどころではなかったからだと思う)
この史跡を紹介しているサイトも少なく、やっとみつけました。
「長崎旅ネット」
https://www.nagasaki-tabinet.com/junrei/1089/

高台にある教会から階段で降りる際、眼下に広がる久賀の海がキラキラと美しかった。この神の光のようなきらめきが少しでも鎮魂になればと思うばかりです。

そしてタクシーで道なき道を移動して到着した折紙展望台。絶景!

折紙展望台
https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/61681/

つづく






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